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ブラッディースクライド

更新するようになってから、もうそろそろ二年になります。
二年も続けていると、やはりスタンスもずいぶんと変わってしまうようです。
昔はとにかく面白くしよう面白くしようとがんばっていて、その必死な姿勢がよりいっそう寒さに拍車をかけたりして、
でもまあ今読んでみても、「面白いこと書こうとしてるんだろうなあ」ということは読み取れるんですけれども、
最近はどうもそういった情熱がまったく感じられません。
なんだかクールを装っているようで、それががんばっていたとき以上に寒い。
いや、寒いどころの話じゃない。うすら寒い。いろんな意味で滑ってる。
自分は愉快な人間なんかじゃない、なんて開き直ってしまったのがいけませんでした。
せめて真実ではなかったとしても「俺は面白い!」と思い込んでさえいれば、まあ温かい目で見守ることもできたのでしょうが、
もはや見守ることすら痛々しく、四面楚歌、いかんともしがたい按配であります。

1億総表現者社会と揶揄されるほど、あちらもこちらも表現者だらけの昨今。
同じように自分が愉快なものをクリエイトできる人間なんかではない事を自覚してしまい、
同じようなことで悩んでいる人もいるんじゃないかなあと思いながらこんなことを書いているのだけれど、
実際問題そんな人ばかりではない可能性もあるわけで、だとしたらこれまでの流れはすべて自分語りなわけで、
その上何の意味もない自虐ですらあるわけで、ともすればまたもや盛大に滑ってしまったのではなかろうか。

そんな風なことを繰り返す中で、色んな事に対して無感動になっていくという可能性もあるでしょう。
ありとあらゆる変化(正しくは変化した結果)の中には原因、因子あるいはファクターと呼ばれるものが必ず隠されています。
そう考えるのが現代社会において推奨されている考え方です。
例えばここに、二年の間にある一人の青年の心に変化が起こりブログでよりよく滑るようになった、という事実があったとします。
そうしたときにその青年は「情熱がなくなったから」などと考えたりするはずです。
それはつまり変化に対する原因を探る行為であり、現代社会を生きる人間として当然の行動なのですが、
そこにはかならず予断が存在します。言い訳、と言い換えてしまってもいいかもしれません。
予断、言い訳、どちらでもいいのですが、つまり彼は変化に対する「都合のいい」原因をあたかもそれが当然であるかのごとく付け加えるのです。
彼は始め、それが言い訳に過ぎず、言い訳でしかなく、言い訳以外の何者でもないことにはまったく気付きません。
もし彼がよく考えることをよしとしない人間であったなら、きっと一生そのことに気付かないでいることでしょう。
しかしそれが必ずしも悪いことであるとはいえません。

ここで重要になってくるのは、この世の中は気付いてしまったがゆえに害を及ぼす事実で埋め尽くされているという事実です。
宇宙には果てがない事とか、お父さんが実は二浪していたこととか、ムスカがラピュタ王だったこととか。
この世で知ることのできるほとんどの事実や常識は有害といってしまっても差し支えないでしょう。
そういうような有害な知識が埃のように堆積することによって、ある人間の持つある思想が、ひどく無味乾燥なものに変じてしまう可能性。
そしてそういうような有害な知識を有害ということにすら気付かずに堆積させて誇りに思っている人達。
まさしく悲劇以外の何者でもありません。
まさかムスカがロムスカ・トゥエル・ウル・ラピュタだったなんて。
by syunsukea | 2007-12-02 02:30
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